劇場版『鬼滅の刃』はストロングスタイル 観客への“配慮”を捨てて挑んだ表現に迫る

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『劇場版「鬼滅の刃」無限列車編』
『劇場版「鬼滅の刃」無限列車編』場面写真  写真提供:AFLO

 『劇場版「鬼滅の刃」無限列車編』が本日21時よりフジテレビ系にて地上波初放送。本作は、公開から約2ヵ月で歴代興行収入1位に輝き、興行収入400億円を突破。テレビでは特集が組まれる度にSNSでトレンド入りを果たすなど、今なお日本中を席巻し続けている。ここまで作品が受け入れられたのには、どのような要因があるのか。今回は、映画の構成と表現からヒットの理由を紐解いていく。

■映画だけで情報を完結させないストロングスタイル

 本作は、2019年に放送された『鬼滅の刃』テレビシリーズの続編にあたるストーリー。こういったパターンの映画では、映画初見の観客が置いてけぼりにならないよう、冒頭でテレビシリーズの振り返りや作品の世界観や状況を頭に入れてもらうための、いわゆる説明パートに尺が設けられることがしばしばある。しかし、本作では説明パートが極力省かれている。

 例えば、“十二鬼月”の下弦の壱・魘夢(えんむ)の血鬼術で主人公・竈門炭治郎が夢を見せられる場面。夢の中で炭治郎は、“はじまりの鬼”である鬼舞辻無惨(きぶつじむざん)に殺されたはずの家族と幸せな日常を過ごしていた。その後、夢から覚めた炭治郎は怒りをあらわに魘夢と対峙するが、夢に登場する家族がどういう状況なのか、劇中で直接的には語られていない。加えて、炭治郎たちの目的や『無限列車編』で活躍する煉獄杏寿郎(※)たち“柱”のこと、そもそも対峙する鬼がどういう存在なのかという説明も極力省かれている。説明を必要最低限にすることで、浮いた尺をより密度の高い作品描写に回すことが可能になる。

■ハイクオリティなバトルシーンの追加

 では、浮いた尺をどこに割いたのか。それは、炭治郎や煉獄と十二鬼月のバトルシーンだ。特に煉獄は、原作のストーリー中には登場しなかった参ノ型“気炎万象”を使うシーンや第63話と第64話の間の戦闘が追加されているなど、上弦の参・猗窩座との死闘も大幅にボリュームアップ。また、列車内の剣戟(けんげき)も照明を落として違和感のないように空間を広げる、斬った断面が燃えるなど、見せ場を濃密に描写している。

 当然、そのバトルシーンのクオリティが低ければ元も子もない。むしろ原作にないシーンを追加したにも関わらずイマイチだったとしたら、マイナス評価にしかならない。しかし本作は、最初から最後まで美麗な映像表現が物語を彩っている。原作を逸脱せずに追加されたハイクオリティな表現もヒットのひとつの要因になったのではないだろうか。

■説明は本来異物なのか

 説明を少なくすると、そのぶん作品性を高める余地は生まれる。しかし、複雑な設定や前後関係が頭に入っていなければそもそも楽しむことができない。どの映画においても説明シーンを省けば完成度の高い作品になるとは限らず、例えば劇場版『僕のヒーローアカデミア』はキャラクター設定などが丁寧に説明されていることで映画の魅力が生きている。しかし『鬼滅の刃』では、こういった配慮を極端に抑えても楽しめる理由が2つ考えられる。

 ひとつは、物語が分かりやすいこと。例えば、オリジナルアニメ映画や原作の設定が複雑な作品であれば、説明を入れないとそれこそ観客は置いていかれ、映画として破綻してしまうかもしれない。その点『鬼滅の刃』は、目的も対立構造も分かりやすく、劇場版ではそれが丁寧に表現されている。バトルシーンでも、日本人が昔から慣れ親しんでいる“チャンバラ”要素が強いため、多くの観客に受け入れられやすいのだろう。もうひとつは、そもそもテレビシリーズが社会現象を起こすほど大ヒットし、その余韻を残したまま映画公開までたどり着いたこと。公開前の認知度が異常に高いという地盤が後押しになったのだろう。

 『鬼滅の刃』が歴史に残る大ヒットを記録した要因はいくつもあるが、説明を極力省いた構成もそのひとつと言えるだろう。今夜放送される『劇場版「鬼滅の刃」無限列車編』は、原作を知らなくても楽しめる構成になっているので、日本の映画記録を塗り替えた作品をその眼に刻んでみてはいかがだろうか。(文:M.TOKU)

 『劇場版「鬼滅の刃」無限列車編』は、フジテレビ系にて9月25日21時放送。

※「煉」の正式表記は「火+東」

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